未来エンジニア養成所Blog

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教えることが、最強の勉強法だった

教えることが、最強の勉強法だった 人に教えることが、実は一番自分のためになる。

そう気づいたのは、プログラミング講師として働き始めてからのことです。


長年ITエンジニアとして現場で培ってきた技術を、受講者に伝えようとした瞬間、ある壁にぶつかりました。

「わかっているはずのこと」が、いざ言葉にしようとすると出てこないのです。

頭の中でふんわりと理解していたことが、実はしっかり根を張っていなかった。

その事実に、正直なところ、かなり焦りました。

頭の中で「わかっている」と思っている状態と、相手に伝わる言葉として説明できる状態は、まるで別物です。

この「ずれ」に気づくためだけでも、教えるという経験には大きな価値があります。


さて、あなたはこんな経験はありませんか。

本を読んで「なるほど」と思ったのに、翌日には内容をほとんど忘れている。

セミナーに参加して感動したのに、日常に戻ると何も変わっていない。

知識を「受け取る」だけでは、人はなかなか動かない。

そして動かないということは、まだ本当には理解していないということだと、今は思っています。

インプットとアウトプットの間には、思っているよりもずっと大きな溝があります。

その溝を自覚することが、本当の意味での学びの入り口です。

受け取ることに慣れすぎると、いつの間にかアウトプットへの恐怖が育ってしまいます。


私が講師の仕事を始めた頃、自信満々で臨んだ初めての講義で完全に詰まった経験があります。

受講者からの「なぜそうなるんですか」という一言に、答えられなかった。

「そういうものだから」という感覚でしか持っていなかった知識が、問いの前では無力でした。

その日の帰り道、悔しさと恥ずかしさで頭がいっぱいで、駅のホームに立ちながら「もっと深く学ばないといけない」と強く思ったのを覚えています。

あの経験がなければ、今の自分はなかったと言い切れます。

失敗は、次の問いを生む種です。


実のところ、教えるという行為は、自分の理解の「穴」を可視化するプロセスでもあります。

説明しようとすることで、どこが曖昧かがはっきりする。

質問されることで、自分が見落としていた視点に気づく。

とはいえ、それは苦しいことばかりではありません。

むしろ「わかった」という感覚が更新されていく喜びは、受け取るだけの勉強では味わえないものです。

教えることは、自分の知識をもう一度組み直す作業でもあります。

そして、その組み直しの中で、知識はようやく「使える形」に変わっていきます。


学びの場にいる受講者たちの姿を見ていると、同じことを感じます。

最初は恐る恐るだった人が、仲間に説明するうちにどんどん自信をつけていく。

とある研修会場で、受講者同士が熱心に教え合っている光景を見たとき、思わず「これだ」とつぶやいていました。

教える側も、教わる側も、両方が成長している瞬間でした。

それは私が用意したカリキュラムではなく、受講者どうしが生み出した学びの化学反応でした。

こういう瞬間があるから、講師という仕事はやめられません。

その場に立ち会えることを、心からありがたいと思っています。


ふと振り返ると、自分がうつ状態を経験して一度IT業界から離れたとき、学ぶ意欲すら失っていた時期があります。

そこから立ち直るきっかけになったのが、誰かに何かを伝える喜びでした。

人に伝えることで、自分がまた動き出せた。

その原体験があるから、今でも講義の場に立つことが楽しくて仕方ありません。

あの苦しかった時期が、今の自分の原動力になっています。

どん底を知っているからこそ、伝えることの喜びが体に染みているのかもしれません。


学ぶ仲間がいることの力も、見逃せません。

一人で黙々と勉強するより、誰かと一緒に取り組む方が、格段に学びの密度が上がります。

「あれ、自分の理解ってそれで合ってるかな」と立ち止まれる相手がいる。

互いに問いを投げ合える関係がある。

そういう環境が整ったとき、学びはぐんと加速するものです。

仲間の存在は、モチベーションという意味でも、理解の深さという意味でも、一人では得られない何かをもたらしてくれます。

孤独な勉強と、仲間との学びでは、積み上がるものの質が違います。

一緒に悩んで、一緒に「あ、そういうことか」と顔を上げる瞬間のあの感覚は、何にも代えられません。


では、今すぐ誰かに「教える」立場になれるかといえば、そうでなくてもいい。

まずは誰かに話してみることから始めてみてください。

今日学んだことを、友人に説明してみる。

職場の同僚に共有してみる。

うまく説明できなかったとしたら、それはまだ理解が浅い部分があるサインです。

でも同時に、そこが次の学びのドアでもあります。

完璧に説明できなくても大丈夫です。

説明しようとしたこと自体が、すでに深い学びの始まりだから。


知識は受け取っただけでは、まだ半分です。

誰かに渡そうとしたとき、はじめて自分のものになっていきます。

それが、人に教えることが最高の学習法だと、何度失敗しても繰り返し実感してきた私の、正直な話です。

あなたの「わかった」は、誰かに伝えることでもっと深くなります。

今日学んだことを、ひとつだけ誰かに話してみませんか。


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