「先生」と呼ばれる瞬間、心の中で何かがふわりと膨らむのを感じたことはありませんか。
講師という仕事を続けていると、受講者から「先生」という言葉をかけられる場面が何度も訪れます。
最初のうちは照れくさくて返していました。
ところが何度も繰り返されるうちに、その言葉にどこか心地よさを覚えるようになっていったのです。
けれども、ある日ふと気づいたことがあります。
「先生」と呼ばれて嬉しいと感じるとき、実は自分の中に隠したい何かがあるのではないかと。
知識や経験が足りない部分を覆い隠すために、無意識のうちに「先生」という肩書きに寄りかかっているのかもしれません。
講義の現場では、受講者から予想外の質問が飛んでくることもあります。
そんなとき「先生なんだから答えなければ」というプレッシャーが頭をよぎります。
でも正直に言えば、すべての質問に即答できるわけではありません。
技術は日々進化していますし、自分が知らない分野もたくさんあります。
実際に失敗したこともあります。
ある講義で受講者から技術的な質問を受けたとき、自信満々に答えたことがありました。
ところが後日、調べ直してみると、その答えが間違っていたことに気づいたのです。
すぐに受講者へ訂正の連絡をしましたが、そのときの恥ずかしさは今でも忘れられません。
この経験から学んだことは、知らないことを知らないと認める勇気の大切さでした。
完璧を装うよりも、わからないことは正直に伝えて、一緒に調べたり考えたりする姿勢のほうが、受講者との信頼関係を深めることにつながります。
どれだけ経験を重ねても、学ぶべきことは尽きることがありません。
新しい技術が次々と登場しますし、受講者一人ひとりの背景や目標も異なるからです。
結局のところ、「先生」という言葉は単なる呼び方に過ぎません。
大切なのは、その言葉に惑わされずに、自分自身の未熟さを受け入れることではないでしょうか。
知識や経験は確かに必要ですが、それ以上に必要なのは、常に学び続けようとする姿勢と、他者から学ぶ謙虚さだと感じています。