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相手が成長してこそ本当に「教えた」ということ

教えるということについて、ずっと考え続けていることがあります。

それは、教育の本質とは一体何なのかということです。


多くの人が「教える」と聞いたとき、まず思い浮かべるのは知識豊富な人が情報を伝達する姿かもしれません。

熱心に説明し、丁寧に指導し、時間をかけて向き合う。

確かにこれらは教育において重要な要素です。

しかし、本当にそれだけで「教えた」と言えるのでしょうか。


長年、様々な受講者と接してきて気づいたことがあります。

それは、どれほど熱意を込めて説明しても、どれほど時間をかけて丁寧に指導しても、相手が理解できなければ、成長できなければ、それは「教えた」ことにはならないということです。


この気づきに至るまでには、多くの失敗と反省がありました。

プログラミングを教え始めた頃、私は自分なりに一生懸命説明していました。

技術的な内容を詳しく解説し、理論から実践まで幅広くカバーしようと努力していました。

しかし、受講者の反応を見ると、理解できていない様子が伝わってくることが度々ありました。


そのとき、ある受講者から言われた言葉が今でも心に残っています。

「説明は分かるんですが、実際に自分でやってみると全然できないんです」

この言葉を聞いたとき、ハッとしました。

私は知識を伝えることに夢中になって、相手が本当にできるようになっているかどうかを見落としていたのです。


教育の成果を測る真の指標は、教える側がどれだけ努力したかではありません。

どれだけ詳しく説明したかでもありません。

相手がどれだけ成長できたか、どれだけできるようになったか、それだけが本当の成果なのです。


この考えに至ってから、教え方を根本的に見直すようになりました。

まず重要なのは、受講者が現在どのレベルにいるのかを正確に把握することです。

そして、その人が次のステップに進むために何が必要なのかを見極めることです。


例えば、プログラミングの基本的なループ処理を教えるとき、以前の私なら「for文の構文はこうで、while文の構文はこうで」と一通り説明していました。

しかし今は、まずその受講者がループという概念自体を理解しているかどうかを確認します。

理解していない場合は、日常生活の例を使って「同じ作業を繰り返す」ということがどういうことなのかから説明を始めます。


そして何より大切なのは、説明が終わった後に実際にその人ができるようになっているかどうかを確認することです。

理解したつもりになっていても、実際に手を動かしてみると分からないということはよくあります。

だからこそ、説明の後には必ず実践の時間を設け、受講者が自分の力でできるかどうかを確認するようにしています。


このプロセスを通じて分かったのは、「教える」ということは知識の一方通行ではないということです。

相手の反応を見て、理解度を確認し、必要に応じて説明の仕方を変える。

うまくいかなければ別のアプローチを試す。

これを繰り返しながら、相手が確実にできるようになるまでサポートし続けることが、本当の意味での教育なのです。


また、相手ができるようになったかどうかを判断する際に気をつけているのは、表面的な理解と本質的な理解を区別することです。

例えば、受講者が同じような問題を解けるようになったとしても、それが単に手順を覚えただけなのか、それとも本当に理解して応用できる状態なのかを見極める必要があります。


本質的な理解に至っているかどうかを確認するために、少し違った角度から問題を出してみることがあります。

同じ知識を使いながらも、今まで見たことのない形式の問題を提示することで、その人が本当に理解しているかどうかが分かります。

もし応用できなければ、まだ本質的な理解には至っていないということなので、改めて基本に戻って説明し直します。


教える立場にいると、つい自分の知識や経験を全て伝えたくなってしまいます。

これも知っておいてもらいたい、あのことも大切だから説明しておこう、といった具合に内容がどんどん膨らんでしまうことがあります。

しかし、情報量が多すぎると、相手は消化不良を起こしてしまいます。


大切なのは、その人にとって本当に必要な情報を見極めて、適切な順序で提供することです。

一度に全てを伝えようとするのではなく、段階的に、確実に理解できるペースで進めていくことが重要です。


ある受講者との経験が印象に残っています。

その方は理論的な説明を聞いても なかなか理解が進まなかったのですが、実際に手を動かして試行錯誤している過程で突然「あ、そういうことか!」と理解された瞬間がありました。

その瞬間の表情の変化を見たとき、これこそが本当の学習なのだと実感しました。


教える側の満足と、学ぶ側の成長は必ずしも一致しません。

どれだけ完璧な説明をしたと思っても、相手が理解できなければ意味がありません。

逆に、短い説明や簡単な例であっても、相手がそれで理解し、実際にできるようになれば、それは素晴らしい教育なのです。


この考え方は、教える技術だけでなく、評価の仕方にも影響を与えました。

以前は、どれだけ詳しく説明したか、どれだけ時間をかけたかを基準に自分の教育を評価していました。

しかし今は、受講者がどれだけ成長できたか、どれだけ新しいことができるようになったかを基準に評価するようになりました。


時には、自分が思っているほど受講者の成長が見られないこともあります。

そんなときは、教え方を見直し、別のアプローチを試みます。

相手のせいにするのではなく、どうすれば理解してもらえるか、どうすれば成長につながるかを考え続けることが、教える側の責任だと思っています。


また、成長の速度は人それぞれ違うということも学びました。

ある人はすぐに理解して次のステップに進めますが、別の人はじっくりと時間をかけて理解を深めていきます。

どちらも正しい学習のプロセスであり、大切なのは最終的にその人なりのペースで確実に成長していることです。


教育において最も喜びを感じる瞬間は、受講者が「できた!」という実感を持った瞬間です。

それまで理解できなかったことが分かるようになったとき、今まで解けなかった問題が解けるようになったとき、その人の表情や声に現れる変化を見ることほど嬉しいことはありません。


このような経験を重ねる中で、教育とは結果がすべてなのだということを強く実感するようになりました。

過程での努力や工夫はもちろん大切ですが、最終的に相手が成長できたかどうか、新しいことができるようになったかどうかが唯一の成功指標なのです。


しかし、これは決して冷たい考え方ではありません。

むしろ、相手の成長を第一に考えるからこそ、より深く相手を理解し、より効果的な方法を模索し、より真剣に向き合うことになります。

相手ができるようになることを目指すからこそ、教える側も常に成長し続ける必要があるのです。


現在も、一人ひとりの受講者と向き合いながら、どうすればその人が確実に成長できるかを考え続けています。

時には従来の方法を捨てて、全く新しいアプローチを試すこともあります。

大切なのは、固定観念にとらわれることなく、常に受講者の成長を最優先に考えることです。


教育の世界では、教える側の熱意や努力が評価されることが多いです。

確かにそれらも重要な要素ですが、本当に評価されるべきは結果、つまり学ぶ側の成長なのではないでしょうか。

どれだけ一生懸命教えても、相手が成長しなければ、それは教育として成功したとは言えません。


逆に言えば、たとえシンプルな方法であっても、短時間の指導であっても、相手が確実に理解し、実際にできるようになれば、それは優れた教育なのです。

効率性や効果性を追求することは、決して手抜きではありません。

限られた時間の中で最大の成果を上げることは、むしろ高度な技術と言えるでしょう。


このような視点で教育を考えるようになってから、自分自身の成長も加速したように感じます。

受講者の反応をより注意深く観察するようになり、理解度を正確に把握する技術が向上しました。

また、様々な教え方を試すことで、引き出しも増えました。


そして何より、教育に対する責任感が深まりました。

相手の成長が全てであるならば、そのために全力を尽くさなければなりません。

自分が満足するための教育ではなく、相手が成長するための教育を追求し続けることが、真の教育者としての使命なのだと思います。


教えるということの本質を理解すると、教育に対する見方が大きく変わります。

知識を伝えることから、成長を支援することへ。

自分中心の視点から、相手中心の視点へ。

このシフトこそが、本当に価値のある教育を実現するための第一歩なのかもしれません。


相手ができるようになったかどうか。

この シンプルな基準こそが、教育の成否を決める最も重要な指標なのです。


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