プログラミング講師として多くの方々と接する中で、いつも心に留めていることがあります。
それは「先生」と呼ばれ始めた瞬間から自分自身を見失わないということです。
教壇に立つようになると、不思議なことに周りからの扱いが変わり始めます。
質問をされれば答える立場、知識を伝える側として尊重されるようになります。
そんな環境の中で気づかぬうちに忍び寄るのが、「私は何かを知っている人間だ」という過信です。
実は講師として活動する前、私は17年間ITエンジニアとして働いていました。
技術の世界は日進月歩で、常に新しい知識を吸収し続けなければならない世界です。
そんな中で自分の無知と向き合う場面が何度もありました。
思い描いた通りにプログラムが動かないとき、解決策が見つからないとき、そこには必ず自分の理解不足や経験不足があったのです。
しかし不思議なことに、教える立場になると「わからない」と言うことが難しくなります。
受講者から質問を受けたとき、答えを知らなくても何かしら返答しなければならないと感じてしまうのです。
これこそが講師としての最初の落とし穴だと気づきました。
実は「わからない」と素直に認めることこそが、最も誠実な姿勢なのです。
IT企業の研修講師として活動する中で出会った受講者の中には、純粋に「なぜそうなるの?」と質問してくる方がいます。
その問いに対して「そういうものだから」と言い切ってしまうのは簡単です。
しかし、それでは受講者の知的好奇心を摘み取ってしまいます。
「いい質問ですね。一緒に考えてみましょう」と対話を始めることで、私自身も新たな気づきを得ることができるのです。
講師として立つ教壇は、決して高みから教えを垂れる場所ではありません。
むしろ受講者と共に学び、成長する場なのだと実感しています。
プログラミングの世界には常に新しい技術が生まれ、昨日の常識が今日覆されることもあります。
そんな環境で「私は既に知っている」という姿勢を取ることは、自らの成長を止めることに他なりません。
私がGallup認定ストレングスコーチとしての活動を始めたのも、人それぞれの強みを理解し、互いに学び合うことの大切さを実感したからです。
一人一人が異なる才能や強みを持っています。
教える側も教わる側も、お互いの強みを活かし合うことで、より豊かな学びの場が生まれるのです。
かつて私自身も挫折を経験し、うつ状態に陥ったことがあります。
その時に気づいたのは、自分の限界を認め、助けを求めることの大切さでした。
完璧な講師などいません。
わからないことがあれば素直に「わかりません」と言い、必要であれば調べて後日回答する。
そうした姿勢こそが、真の学びを促進するのです。
合同会社フェデュケーションを立ち上げてからも、この信念は変わりません。
教育とは相互作用であり、講師と受講者が共に成長していく過程です。
「先生」と呼ばれることで傲慢になるのではなく、その呼び名に恥じない人間であろうと日々自問自答しています。
プログラミングを教える際には、コードが思った通りに動かないことがよくあります。
そんなとき「おかしいな、なぜだろう」と受講者と一緒に考えることで、より深い理解に繋がることがあります。
完璧を装うのではなく、時には失敗も見せながら「こうやって問題解決していくんだよ」というプロセスを共有することが、実は最も価値のある教育なのかもしれません。
講師として大切なのは、知識の量ではなく、学ぶ姿勢を持ち続けることだと思います。
ITの楽しさを伝えるためには、まず自分自身がその楽しさを感じていなければなりません。
新しい発見があったとき、問題が解決したとき、その喜びを素直に表現できる人こそが、他者にも同じ感動を伝えられるのです。
天職とは、自分の強みを活かしながら社会に貢献できる仕事のこと。
私にとっての天職は、多くの人にITの楽しさを知ってもらい、彼らの人生をより豊かにすることです。
そのためには、常に謙虚な姿勢で学び続け、受講者一人一人と真摯に向き合っていきたいと思います。
偉そうに振る舞う講師は、実は自分の無知を隠そうとしているだけかもしれません。
本当の自信とは、自分の限界を知り、それでも前に進む勇気から生まれるものです。
これからも笑顔を忘れず、ITの世界の扉を開く手助けができればと思います。
そして何より、仕事を楽しめる人たちが一人でも増えることを願って、日々の活動を続けていきます。